薄さと厚み
この7年を記録するカメラは、真新しい自衛隊基地と、それがまだなかった風景の重層を島々に追う。人々の語りがあの戦争に降りていくとき、取り返しのつかなさが歴史の深みから湧き上がる。それにしても、平和な島を諦めない人々の列の薄さよ。そこにいない私を打つな、打て。人々の心の奥底から湧き上がる、誇りと戦火への否が雲を突き、空を突く。

池田香代子翻訳家

台湾有事を想定して自衛隊と米軍は、日米共同作戦計画の策定を急いでいる。計画で戦域となるのは南西諸島だ。「沖縄を再び戦場にするのか」。「戦雲」の問いかけは重い。

石井暁共同通信社編集委員、立命館大学客員教授、『自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体』著者

正直にいうと運動や組織や政治家たちにうんざりしていた。運動の最前線にある女性を軽視する視線や、ヒーローしか誕生させない構図や、それでももっと大きな国家との闘いがあるから黙らないといけないと思ってしまうことや、そしてなにより、こんなにも嫌だと言っているのに、何も変わらない日本や沖縄の日々が。
でも、三上監督のこの作品をみて元気が出たのだ。子どもを育てながら、牛を育てながら、傷みを抱えながら、足元の生活の場所で大きな力には抗いながらも対話の言葉を探そうとするひとを撮っているからか。かれらの言葉と姿に触れて、まだできることはあるはずだと、自分に問いかけるような、自分の手のひらをじっと見るような映画だった。

上間陽子大学教員

うつくしい風景を切り崩し、増殖していく軍事施設
物々しい武器が島に持ち込まれるのを阻止しようと
声を上げるうつくしい人びと
声は、聞かれるために、受け止められるために発される
しかしそれを意図的に黙殺する者たちが立ちはだかる
カメラは表情を消した彼らの顔と
はねのけられた声そのものを記録し
わたしたちの前へと差し出す
声を、聞かなければならない
聞くのは、わたしたちだ

瀬尾夏美アーティスト/詩人

丸腰の節子さんが歌う。皆で船を漕ぎ、エイサーを踊る。海では魚が跳ねて、山では山羊が草を食べる。大きな雲が差し掛かる中、僕たちが“守る”べきものとはなんなのか?

ダースレイダーラッパー

話が違う、と繰り返し叫ぶ。
約束を破った者たちが黙る。
今、繰り返されていること。
杖をついた老婆が、銃を持った若き隊員に話しかける。
どちらも平和を望んでいる。
この矛盾は誰が作り出したものなのだろう。

武田砂鉄ライター

辺野古や米軍にだけ気にしているとわからない驚愕の事実の連続。
結局対峙せざるを得ないのは、まともに説明せず、嘘を付き、住民の声を聞かずに進める日本政府なのだ。
映画を通して沖縄全体を俯瞰することで日本政府の建前と本音のギャップが怖いくらいに見えてくる。

津田大介ジャーナリスト/メディア・アクティビスト

「国を守れ」とあなたが言うとき、そこに誰がいるだろうか。あるいは、誰を含んでいないのだろうか。平和をつくることよりも、平和から遠ざかる方が、ずっとお手軽で、あっけなくて、簡単だ。仕方ないとうなだれる前に、わかったふりをして居直る前に、聞くべき声がある。

永井玲衣哲学者

沖縄本島から、離島の与那国島、宮古島、石垣島での取材を続けた8年間に起きたこと、歳月を重ねたからこそ見えてくること。三上さんは、住民の方々一人ひとりの生活圏を脅かされることへの当たり前のNOを発信する姿、国や自治体の戦略により分断される人々、変わっていく島の景色をカメラで紡ぎ続ける。過去を振り返る複雑な声、切迫した荒々しい声、日常を語る柔らかな声、祭りを楽しむ揚々とした声、山里節子さんが唄う民謡とぅばらーま・・・ 重なり合う声や顔が、見ている私たちを、「現場」へと誘い引きつけてやまない。そしてそれは、自分の足元で起きていることだと何度も気づかせてくれる。

濱治佳山形国際ドキュメンタリー映画祭

日本政府は台湾有事が起きたら先島諸島の住民を九州に避難させ、同諸島全体を米軍と自衛隊の作戦拠点として軍事利用しようとしている。映画が描く状況は深刻だが、不思議と暗い気持ちにならず、むしろ前向きになれるのは、国策に抵抗して声を上げる人々の芯の通った生き方とその言葉の力強さゆえだろう。すぐに結果を残せなくとも、力のある言葉は残り、人々の心を動かしていく。それが、やがて大きく実を結ぶ時が必ず来る。

布施祐仁ジャーナリスト

島の人々の生活や豊かな文化が丁寧に描かれている。顔や人生がはっきりと見える。
だからこそ、穏やかな日常が「戦雲」に覆われ始めたことに戦慄する。この映画を見ることは重要だ。
沖縄の問題ではなく日本の問題なのだから。

プチ鹿島時事芸人

戦争と平和、そして、老人と海。これは「正しく怒るためのレッスン」だ。昨年3月、石垣島に陸上自衛隊のミサイル基地が開設した。「国防上の空白解消」と伝える報道もあるなか、反対を続けてきた島民にはどれほどの「敗北」だったか、観ればわかる。いや、観なければわからない。印象的なのは、この映画には正しく怒るひとだけが浮かべることのできる笑顔も収められていること。どこまでも青い海をバックに鳴る坂田明のサックスの美しい音色は、怒りを昇華してたどり着く崇高さの鮮やかなメタファーである。

松尾潔作家・音楽プロデューサー

この映画が問うのは、「沖縄の島々なら押し付けてもいいだろう」と要塞化を進める国以上に、「ヤマト」に暮らし、「押し付けても許されるだろう」と国に思わせている私たち自身ではないか。

安田菜津紀メディアNPO Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト

国防という名のもと、南西諸島でグロテスクなほどに暴走する国家。でも、その島々で暮らし、祭りに沸き、歌い、抗い続ける人たちがいる。
ああ、生活とはなんとたくましいものだろう。私も日々の営みから声をあげていかなきゃ。これは日本に住む私たちみんなの問題なのだから。

和田靜香ライター